rainbow / cloudy
6/26 Gay Marriage
アメリカで同性婚が認められた。
Twitterでは#love wins タグが流れて
多くの人が喜び自由に想いを馳せた。
はじめにこのニュースをきいたとき、
私は嬉しかった!
素直な感情だった。
愛が許されるなんて、素敵だ!と。
私自身は異性と恋愛しているけど、
この想いの幸せや愛の深さは
性別になんて関係ないと思うから。
同性で恋愛しているひとが
同じように結婚をゴールに愛を育めること
愛し合うことに自身を持てること
それは本当に愛の勝利だし
幸せに身を委ね努力した結果だと思う。
ただ、このニュースに関して、
自然の摂理に反しているとか
シンプルにどうしても
同性愛を受け入れられない人が
いるのも事実だと知った。
実際私はこの話を喜ばしいと思い
話を振ったら、
”そんなのごめんだ”という声を聞いた。
一瞬は傷ついたけれど、
”自然でない” ”生物的でない”ことは
確かにそうなのかもしれない。
愛は理屈じゃないよ、と
フラッグを掲げたって
生殖機能の問題で子孫を増やせないことを
フラッグは解決してくれない。
ゆらゆら揺れるだけの旗は
気休めでしかならなくなる。
そのうちに、これは大きな問題で
”新たな壁への一歩にもなってしまった”
ことにも気がついた。
同性婚をしたカップルが、
子供を持ちたがり試験管ベイビーのように
科学の力で産まれる子供が増えたり
愛に自由が広がりすぎて
ヘテロカップルが減って少子化になったり。
(考えすぎだろうか?)
”恋愛”が自由になることは認められたが、
”家族”が自由になることはきっとまだ
そんなにポピュラーではないと思う。
両親が同性であること
子供の出生が男女の自然的分娩でないことが
社会的に問題視されたり
新たな差別につながる可能性を
秘めていると感じてしまって。
差別撤廃は永遠になくならない
いたちごっこなのかと
頭を抱えるはめになってしまった。
自由になることと
無秩序になることは
なんとなく平行線で。
うまく折り合いがつかない気がして、
私は少し不安を覚えたよ。
タテマエと、現実が
パズルのように。
うまく世の中でカチリとはまる日を
待ち望んで。
多くの人が、
胸を張ることを許される日を願って。
この革新がよき未来に繋がるように
私はアイスキャンデーなめながら
インターネットにかじりつくしか
ないのです。
nana
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